ぶれない心をつくる「般若心経」の悟り

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迷い、悩みを一掃する262文字の脅威の力

今回は、島田裕巳さんの著書「ぶれない心をつくる『般若心経』の悟り」をご紹介します。

島田裕巳さんは、東京大学文学部を卒業後、同大学大学院の宗教学専攻博士課程を修了。日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任されている宗教家であり作家でもあられます。新宗教から葬送の在り方までベストセラーを多数作出されていらっしゃいます。

「般若心経」は、262文字のとても短いお経です。

島田さんはこの本で、日本人にとって、最も一般的なお経と言われている「般若心経」の魅力を様々な角度からとらえていらっしゃいます。

なぜ日本人がこれまでに「般若心経」に惹かれるのか。そして私たちが「般若心経」と、いかにいかにに向き合っていくのかのヒントが得られます。

日本人が見せられた「色即是空」の境地

般若心経が広まったのは、ズバリその言葉のリズムや呪文としての神秘的な魅力と言われます。仏教に関心のある人であれば、この言葉を聞いたことがあるんじゃないでしょうか?

「色即是空 空即是色」
(しきそくぜくう くうそくぜしき)

「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)

般若心経において中心的に説かれているのは「空」や「無」について教えで、その重要性が強調されています。なんと、262文字の中に「空」は7回、「無」は21回でてきます。

なかでも、「色即是空 空即是色」ということばは、すべては空であり、すべては無であるという仏教の教えの核心を表現したものとされています。

空や無が強調されていますが、それは決して「虚無思想」ではなく、空であるからこそ、この世界は、豊かに輝きだす。むしろ生きることを積極的に肯定する考え方を含みこんでいます。

仏教は多くの宗派がありますが、そのなかで「般若心経」の価値を認める宗派もいれば認めない宗派もあります。

認める宗派  : 天台宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗
認めない宗派 : 浄土宗、浄土真宗、日蓮宗

本の中では原文を読み解き、その日本語訳と意味の解説がされていますが、その内容については、ぜひ本書を手に取ってみてもらえればと思います。
その深さがよくわかりますし、ちょっとやそっとじゃ理解できないことも分かります。

部派仏教をバッサリと否定しているが?

小乗仏教ともいわれる部派仏教は、一切法を分類した五蘊、十二処、十八界からなる「三科」を基本的な認識としています。

しかし、大乗仏教のお経である「般若心経」は、この三科について、そうしたものは無であり実在しないのだ、とバッサリと否定しています。

部派仏教では、無知が迷いや悩みの根本であり、無知を克服すれば、悟りに至り、迷いや悩みから解放されるという立場をとっています。無知や迷いや悩みという実態が存在すると言っているのです。

一方で「般若心経」は無知自体を否定し、無知から解き放たれる悟りをも否定しています。

「般若心経」は「空」という概念で、部派仏教自体を根源的に否定しているのです。

ですが、後半部分で内容がガラッと一転します。

それまで、空や無が説かれていたのですが、一転して密教に関わる教えが説かれています。

「般若波羅蜜多」が偉大なる真言であることが強調されており、一切の苦を取り除くと言われています。さらに、「般若波羅蜜多」の真言が真実なる者であり、虚しいものではないとされています。

すべてが「空」であると説明していた「般若心経」はその前の部分とこの終わりの部分で全く違う教えを示しているのです。

「空」の教えはすべての実態を否定するが、密教は、神秘的な力を実態をもつものとしてとらえる。その対立と矛盾が、まさにここに示されています。

その点は極めて重要な問題をはらんでいる。また逆にそうした矛盾があるからこそ「般若心経」は強い魅力を放ってきたと言える。と島田さんは解説されています。

いったいこの経典は私たちに何を語りかけようとしているのか。そう問わざるを得なくなるのである。

と島田さんもおっしゃっているぐらいです。

なんだかよくわからなくなってきました。

般若心経が強調する「空」という概念

「般若心経」が強調する「空」という概念。これはいったい何なんだろうか?

それは、ある物が存在しているときに関係性を重視する点だと言います。

例えば、「私」は家族や親族、さらには知人、友人といった他社に囲まれながら生活している。お互いの関係性のなかで、自分の行動を決めるし、何を考えるか、何を感じるかも、他社や物との関係によって変化してくる。

「私」は、一つの実体ではなく、さまざまな関係性が作り出した一つの点のようなものだ。関係性に変化が起これば、そのあり方はすぐに変わっていく。今の私は、過去の私とは違う。未来の私がどういったものになるのか、自分でそれを決めることはできない。すべては関係性が決めるもので、一つの存在が関係性にすべて依存しているのだ。

これを、「空性」というのだそうです。

般若心経をどうとらえるかはその人次第

このように「般若心経」は短文でそのコトバの独特の響きに魅力を感じる人が多いのですが、その矛盾と難解さから、解釈については様々な見解があるようです。

そして最後に著者の島田さんは、般若心経の私たちの暮らしへの活かし方をこのように述べられています。

私たちは、ある事柄を、動かしがたい絶対のものだと考えてしまい、それに縛られる。そして、現実を変えることなどできないと思い込んで、それに悩み、苦しむ。そんな性癖をもっている。

実は、絶対のことなどあり得ない。一度、原点に戻って考え直してみると、問題が一挙に解決することもある。

すべては「空」だ。それこそが、「ゼロベース」で物事を考えることに通じる。

問題が起こったとき、すぐに立ち止まり、原点に戻って考え直そうとすることこそが、智慧であり、「般若波羅蜜多」なのである。

智慧は知識とは違う。知識をため込み、それで身動きが取れなくなってしまわないようにすることこそが智慧の働きである。

智慧が働きだせば、いったい何が無駄で無意味なことなのかが、たちどころに理解されてくる。たしかにそうなれば、あらゆる苦は消滅し、私たちは煩悩から解き放たれる。

この経典をどう解釈するかは、その人次第なんでしょう。

私はこの難解な「般若心経」の言わんとしている意味をこのように捉えました。

あらゆる煩悩は実態がない「空」であり、それは自分が作り出している妄想にすぎない。
妄想であるなら、その妄想は自分で作り出せる。こうなりたいという実態「色」を描ける。
どう描くかは自分次第。自分の選択次第で自分が思う方向へ向かうことができる。

「色即是空 空即是色」勝手に私なりの解釈を最後に述べましたが、結局は「空」なんだから、般若心経の解釈も自分が使いやすいように「こういうことなんだ」と解釈すればいいんじゃないでしょうか。

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