兎角、私たちは日々悩み後悔し不安に思いながら生きています。
今、私が抱えている課題は今までやったことのないWebセミナーを一から準備して集客して開催するということです。
貸会議室を借りて行うセミナーは今まで何度も行ってきましたが、コロナ禍によりリアルのセミナーの開催ができなくなり、オンラインでのWebセミナーをやろうということになったのです。
その時、安請け合いで私がやります!と言ってしまいました。
それからというもの、あの時あんな安請け合いしなければよかった…と後悔の念に苛まれ、うまくいくだろうか?と不安の念に駆られ、最近、心がざわつく毎日を送っています。
前後際断 ぜんごさいだん
この禅語、最近知ったのですが、メンターである枡野俊明さんの著書に記されていました。この禅語の意味はこういうことです。
人は、現在、過去、未来、という時間の流れの中で生きている。三つは連なっているようだが、じつはそれぞれが断ち切られている。現在という時間を考えよ。それは過去の「後」でなく、未来の「前」でもなく現在は過去とも未来とも切り離されていて、それ自体が絶対的な時間である。だから、絶対的な現在を一所懸命生きるしかない。それ以外はない。
禅の逸話としてよく語られることに、禅宗の開祖である達磨大師とその弟子の慧可の公案があります。
慧可が達磨大師にこう問いかけます。
「いくら修行を重ねても不安がなくなりません。この不安を取り除いてください。」
達磨大師はこう答えます。
「それでは、お前のその「不安」をここに持ってくるがいい。そうしたらすぐにでも不安を取り除いてやろう」
慧可は必至に心を見つめて不安を探しますが、どうしても見つかりません。そのことを達磨大師に告げると。達磨大師はこう答えます。
「ほら、不安は無くなったではないか。」
過去を悔んだとしても過去に戻ることはできないし、未来に不安を抱いたとしても未来なんてどうなるかわからない。
ただ今をしっかりと生きること。これしか方法は無いのです。
今は何をする時間でしょうか?
今はこのブログを書いている時間なので、ブログを書くことに集中する。
その後は寝る時間だから、ただ寝ることに集中する。
明日会社に出勤したらWebセミナーの企画をすることに集中する。うまくできるかどうかなんて誰にも分らない。ただ一所懸命にやるべきことをやるだけです。
「不安」なんて自分が作り出した「妄想」でしかありません。
今日も命があることに感謝し「今ここ」に生きる。
而今
私が一番大好きな禅語です。
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